愛妻家は不倫しない。なぜなら、

なぜなら、
愛妻家にとっての最高の女性は、妻だから。
ここで、
ある愛妻家の話をしよう。
便宜上その男をNと呼ぶことにする。
Nは、生まれた時から、
のんびり屋で、おっちょこちょいで、楽観的だった。
(おや?誰かさんに似てない?笑)
Nは、
太平洋戦争に出兵する時でさえ、
家族全員が悲嘆に暮れる中、
たった一人だけ満面の笑みで敬礼してた笑
ところが、
出征先のビルマで、
親友の戦死を目の当たりにしてからは、
気難しくなった。
だが、持ち前の楽観主義で、
戦死することなく、
無事に日本に帰ってきた。
いや正確には、
帰国する時に、
乗る船を、うっかり間違えたらしく、
乗るはずだった船は、撃沈されたとのこと。
つまり、
おっちょこちょいで乗り間違えてなければ、
Nは、戦死してたことになる。
そして、Nの孫も、
この世に存在してなかったことになる。
一方、
のちに、その男の妻となる女性をSと呼ぶことにする。
Sは、戦時中は、家族全員で、
中国は上海のフランス人居住区に疎開していた。
Sの母親は、
大阪は船場の繊維問屋の女性社長だった。
その女性社長は、男よりも男らしい女性だったが、
男どもが始めた戦争になど興味は無く、
とにかく教育熱心だったので、
女性が大学に行くこと自体が、まだ珍しかった当時に、
Sを上海の国立音楽院のピアノ科に入学させ、
ピアノは勿論、最新の和裁洋裁から、料理家事に至るまで、
完璧に習得させた。
ちなみに、隣には、
上皇后美智子様の母方の御実家である副島家が
疎開していたので、
上皇后美智子様のお母様は、
Sのピアノを聞いて育ったことになる。
つまり、
NにとってSは、高嶺の花の御令嬢だった。
戦後、
Sも帰国後の、とある日、
Sのピアノ室でボヤがあり、火事になった。
その知らせを聞いたNは、
一目散にSの元に飛んで行き、
Sの大事なピアノが火事に巻き込まれる前に、
ピアノを担いで外に運び出した。
その時に体力を一気に使い果たしたのか、
Nは暫く寝込んでしまった。
それがきっかけで、
Sは、Nと結婚してくれた。
そしてNは、愛妻家になった。
Nの母曰く、
NはSと結婚してからは、
気難しいところが全く無くなった。
それどころか、
より一層、温厚になった。
Nは、老後も、毎週日曜日は、
最愛のSと、デートに行った。
二人のデートのお気に入りのコースは、
上野の不忍池の近くにある、
横山大観美術館に行った帰りに、
隣にある東天紅で食べて帰ってくることだった。
そのデートに家族も付いて行くことは許されなかった。
二人の最愛の孫でさえ付いて行くことは許されないほど、
二人だけの世界だった。
Nの死後、Sへの遺言には、
「キミが結婚してくれて毎日が幸せだった」
と書かれてあった。
Sは、満面の笑みで、それを孫に何度も読み聞かせてくれた。
さて、NとSとは、誰のことでしょう?
勿論、僕の母方の祖父母のこと。
僕も、祖父みたいな愛妻家になりたい。
じゃあ、
おやすみシンデレラ。